ChainFocus EX#2

Pocket

ChainFocus EX#2

@Design Festa Gallery EAST203 2011/10/14 – 2011/10/16

 

No.1 photo by はたち

●テーマ「和」

今回の写真展は、和室での開催。ということで、スタート・テーマは「和」。日本を表す和、調和の和、平和の和。和という単語には、いろいろな意味があると思います。

そんないろんな意味がある、和をなんでこの写真と結びつけたのか。それは、この写真が「和」を象徴していると、ぼくが感じるからなんです。この写真はトルコで撮った写真。トルコとはヨーロッパとアジアの架け橋で、イスラームとキリスト教が混ざり合いながらも、穏健に、そしてゆったりとした発展を広げている美しい国です。調和、平和。和がとても似合う国なんです。

そんなトルコのイスタンブールの海際で撮ったこの写真は、まさにトルコの和を象徴している日常を切り取った写真です。後ろに写るのはイェニ・モスクというイスラームの伝統建築。そこに重なるように見える道路の標識、ベールをする女性としない女性。いまと過去、そして世俗的なイスラームと厳格なイスラーム、西洋と東洋がすばらしいバランスの上に「調和」している。それがこの写真の「和」たるゆえんなんです。

 

No.2 photo by halu9

●テーマ「自律と協調」

はたちの#1を見て、すぐに浮かんだのは「自律」と「協調」という言葉でした。広場なのでしょうか、そこに人が集っています。集まった人たちは腰を下ろしてほとんど同じ方向に向いていますよね。でももちろん、人としてちゃんと自律していて、各々の時間を過ごしている。当たり前、といえば当たり前なのですが、自然と、生命として自律しながらも、周囲と協調していることって普段の生活の中でもたくさんあると思います。そしてそれは何も人間だけではありません。

#2の写真は見てわかる通り、海月の写真です。ふわふわと水中を漂っているだけのようで、どこか周囲と(何もそれは同じ種族とかだけとかじゃなくて、自然そのものとも)協調してるようにも感じられます。僕には美しさとは、なんて偉そうにものをいう資格はありませんが、1つ1つの要素は独立(≒自律)しながらも、きちっと調和(≒協調)しているものを僕は美しいと感じるようです。そんなことを卒論書きながらぼんやり考えている今日この頃です。

 

No.3 photo by はたち

●テーマ「いのち」

ハルクのクラゲの写真は、純粋にとても綺麗な写真ですよね。いろあいも、そのなかでふらふらと漂うクラゲの姿も、とても素敵です。

そんなクラゲにぼくがこの夕焼けの写真をつなげた意味。それは、どちらも「いのち」を表しているように感じるから。クラゲのか弱さというか、かわいさ、その健気な動き方が「生きているな」ってぼくに訴えかけるような、そんな仕草に見えるんですよね。

一方でこの夕方の写真が、なぜぼくにいのちを感じさせるのか。それは、この写真を撮った場所が「カシミール」という紛争地帯だからなんです。美しいこの夕焼けの真ん中に写るちいさな山も、実はインド軍の要塞。パキスタン軍を常に監視している、そんな場所です。

カシミールはとてもすばらしい土地です。肥沃で、うつくしく、人もよくて食べ物もおいしい。しかし長年続く紛争で、カシミールに住む人々は日々苦しんでいます。そんないのちの叫び声が、この大好きな夕焼けには凝縮されている気がして、ぼくはこの写真をつなげました。紛争の中でもじぶんの心と笑顔を忘れずに、精一杯生きるカシミールのひとたちのを、この夕焼けが励ましてくれている。そんな気もするんです。

 

No.4 photo by halu9

●テーマ「表と裏」

夕焼けを見ると不思議な気持ちになります。今日のことを振り返ってうれしくなったり、後悔したり、今日も一日が終わってしまうと切なくなってみたりと。#3の写真は、湖面に映る夕焼け空のオレンジがとても美しいですよね。この光景を見ていたら、心奪われて、自然と笑顔になってしまいそうです。ただ画面の大部分を占める「青」から、もの悲しさを感じました。悲しみの中にあるうれしさみたいな。そんな表と裏。

#4では女性が海を眺めています。その後ろ姿からは表情を伺い知ることはできません。ただ画面奥にあるキラキラした海とそこに入っていく人影とは対照的にその背中には陰があるようにも感じられます。でもそういったコインの表と裏になっているような要素が1つの画面に収まって調和すると、その危ういバランスの上に成り立っている光景に心を奪われてついついカメラを向けたくなってしまいます。意外とそんな光景ができる瞬間が、日々の生活の中にたくさん隠れているような気がしてなりません。

 

No.5 photo by はたち

●テーマ「きもち」

ハルクの写真の女性は、何か向こう側を見て、考え事をしているんでしょうか。少なくともぼくには、そうみえます。向こう側の海を、物憂げな感じで眺めているような。

ぼくがつなげた写真は、イスラエルはエルサレムの「嘆きの壁」の写真です。ユダヤ教徒の聖地として、多くのユダヤ人がここに祈りに来ます。とてもとても、敬虔な彼らは、そうやって自分たちの信仰を、日常の中で守り続けている。

話がそれました。なんでそんな祈りの写真を、物憂げな女性につなげたのか。それは、祈る人も、ハルクの写真の女性も「きもち」を持って、それを行為に昇華しているからです。

先の女性は、一瞬のきもちを、海の方向を眺めるという一瞬の動作に昇華していました。ここに写るふたりの兵士は、神への気持ちという恒常的なものを、祈るという日常的な動作に昇華していました。

普段何の気のなくわたしたちが動いている動作ひとつひとつには、一瞬であれ恒常的であれ、さまざまなきもちが隠れているんですよね。そしてそれを切り取るものこそが、写真なのかもしれません。

 

No.6 photo by halu9

●テーマ「言葉と動き」

#5の写真では、兵士が嘆きの壁に向かって祈っていますね。作法とかがあるのかはわかりませんが、兵士は2人とも壁に向かって何かを言葉で話しているような印象を受けます。同時に壁の隙間にはたくさんの紙片が入っていますが、これは祈りを込めた手紙なのでしょうか。僕はこの写真からは、「言葉で伝える」ということを強く感じました。

ただ何かを伝えたいとき、使うのは言葉だけでしょうか。言葉は確かにコミュニケーションをする上でとても効率の良い記号だし、ツールですが、行動や表情といった言葉よりも相手に意味を委ねるものもあると思います。

#6の写真では、男性がこちらに笑顔を向けています。その理由はこの写真からはわかりませんが、でもそういったものがなくても、感情とか、彼の表情から伝わるものって確かにありますよね。そしてたぶんそれはいくら言葉を尽くして説明しようとしても、伝えられないものなんじゃないかと思います。僕はあまりいわゆるコミュニケーションが得意ではありませんが、言葉以上に伝わるものがある日々の些細な“動き”に対してももっと真摯になろう、と最近痛感しています。


No.7 photo by はたち

●テーマ「かお」

ハルクの写真に写っている男性は、感情を思い切り顔に出して、満面の笑みを浮かべています。とてもいい表情を切り取った写真ですよね。ぼくがつなげた写真は、またカシミール地方の写真。モスクの前を歩く、3人の女性です。

彼女たちは、イスラームの伝統に則って顔を隠しています。その下にはどんな表情があるのか、ぼくたちは凄い気になってしまいます。なんというか、ドキドキしてしまう、というんでしょうか。

イスラームの女性には、そんななぞめいた感情を覚えます。言ってしまえば、オリエンタリズムです。普段出会う女性とは全然違う女性たちと出会うから、自分が知らない世界に飛び込んだ気分がして、思わず写真を撮ってしまう。

イスラームの女性からしたら、そんなオリエンタリズムを持って接せられていることに対して、いい気分はしないと思います。

ぼくはそう考えながら、どうしても写真を撮ってしまいます。それがぼくの中でいつも、突っ掛かりになっていて。写真を撮ってしまっていいんだろうか、どうコミュニケーションすればいいんだろうか。かおとかおを合わせて、どう話せばいいんだろうか。そんな悩みを抱え、自戒の念を込めてこの写真をつなげました。

 

No.8 photo by halu9

●テーマ「物語と日常」

#7の写真を見て、最初にふと思ったのは何かの物語の中にありそうな光景だな、ということでした。鳩の大群や明らかにイスラーム圏内とわかる格好をした人々と建物、日本という国に住んでいて、イスラーム圏内の国々にはいったことがない僕にとっては、この光景は何かの映画の中のワンシーンのようです。

#8の写真は、ニューヨークのギャラリーを巡っているときに出会った少年の写真です。両親を待っている間、ギャラリーの床に座って、ページをめくって物語を追っていました。

さて、物語のようだな、と言ってしまうと日常から切り離された非日常のように感じられますが、本当にそうなのでしょうか。つまんない日常なんてよく言ったりしますけど、本当に何の変哲もない日常ってつまんないんでしょうか。僕はあまりそうは思いません。

日常というか、自分にとって“普通”の生活って実は毎日ものすごい変化があったり、ドラマチックな展開があったりと当たり前ですが、1日だって同じ日はありません。それをつまんなくするのも、楽しくするのも、幸せにするのも結局は自分次第なんですよね。人生7割5分で、何気ない毎日の中に些細な幸せをたくさん見出すのも宝探しのようでとても楽しいです。


No.9 photo by はたち

●テーマ「こどく」

ハルクの写真の男の子は、なんだか淋しげにひとりノートを開いています。後ろの壁から浮かび出る影がそのこどくさを、さらに醸し出しています。

ここをぼくが出会ったのは、ベドウィンの女性です。ベドウィンとは、ヨルダンやイスラエルなど広域に存在する遊牧民。この女性は、ペトラ遺跡というヨルダンの名所で、ひとり商売を営んでいる女性です。

まわりには砂漠と荒涼とした大地が広がるこのペトラ遺跡で、そんなベドウィンの女性は、ひとり必死に、でも笑顔を絶やさずに働いています。そこにぼくは、孤独を感じました。しかしその孤独は、ハルクの少年のように寂しそうな孤独ではなく、前を見て、生きるために努力をしていている、そんな力強い孤独なんです。

ぼくは彼女からあふれる笑顔を目の前にしたとき、なんだか自分ももっともっと、頑張って生きなきゃな、と思いました。それはストレートに感じた「がんばろう」という気持ちでした。それからというもの、孤独の中でひとり、一歩一歩砂漠の大地を踏みしめている彼女のことを考えると、もっともっと、ぼくを前を向こうと思えるんです。

 

No.10 photo by halu9

●テーマ「視座と意味」

#9の笑顔が素敵です。こういう写真を足りたいなぁと思っているので、羨ましいですね。

さて、ついつい女性の笑顔に惹かれてしまいますが、でもこの女性と自分たちが見ている世界は同じなのかと疑問が生まれます。つまり視座が違うとしたら、当然見えてくる意味や世界も変わってくるだろうということです。女性のストーリーを僕は知りませんが、彼女のストーリーはきっと僕の想像を軽く超えてしまうものなのでしょう。

#9と同じ人の笑顔の写真ですが、#10には2つの視座がありますよね。お父さんと息子です。同じ、ニューヨークにある微笑ましい光景でも息子から見えているもの、と、父親が見ているものでは全く違うはずです。視座が変われば、視線も変わるのですから。子供は、好奇心から来るキラキラした視線。父親は、そんな子供を見守る優しい視線。それぞれが見える世界も、感じる意味も全く違うのでしょうし、子供が親の意図に気がつくまでこの先10数年以上かかるのかもしれません。人と人がコミュニケーションを取るのって本当に大変なことなんだと日々痛感しています。


No.11 photo by はたち

●テーマ「であい」 

ハルクの写真は、とある街の中で撮影された何気ない、でもかわいらしいスナップ写真です。スナップ写真の醍醐味っていうのは、こうやって街中にあふれるいろんな出会いを、写真に収めることができることだと思います。

ぼくはスナップ写真というものが、苦手です。街の中で出会ったひとたちをぱしゃぱしゃとカメラに収めるのに、なんだか引け目を感じてしまうし、それにそもそもカメラを瞬時に構えて写真を撮るってことが苦手だから。

ハルクは一方でスナップがとてもうまくて、凄いなと思います。この写真もだいすきです。

さて、ぼくの写真はカンボジアのアンコールワット遺跡群の元王宮です。この王宮、ちょっと奥まったところにあるので、なかなか見つけることができません。少し鬱蒼とした森を抜けて広がるこの王宮との「出会い」は、ぼくにとって感動の賜物でした。

石で作られた荘厳な王宮と、周りに茂る緑とのコントラスト、そして挿し込む光の色合いと、反射を映し出す池が、まるで神話の世界に飛び込んだような気持ちに、ぼくを連れていってくれました。そんな一枚です。


No.12 photo by halu9

●テーマ「広さと狭さ」

#11の写真では、自然と遺跡が一体化していますね。くっきりとした青空じゃなくて、曇り空なのがまた遺跡と森との調和を成り立たせていているように感じられます。森の中でただただ“自然に”存在している遺跡は、きっとそこに訪れる人々を感動させているんでしょう。異なる複数の要素が強く統合されているとそこに美しさを見出します。そしてそれははたちが撮った遺跡のようなところだけではなくて、足元の日常にもたくさん転がっています。

#12の写真は、伊豆大島の旅館で撮影したものです。都市部と違って空が広いので夕日のグラデーションが綺麗ですよね。同時に夕焼けによる逆光で、人工物がシルエットになっていて同じ画面の中で統合されています。こうした「あるべきもの」が「あるべきところ」にあって、統合されている必然的な瞬間は、探せば探すだけ見つかるんだと思います。たぶん写真は、そうしたあるべきものがあるべきところにあって、過去も未来もその一瞬に全部つまっているような必然的な瞬間を探すための、そしてそんな瞬間を記録するためのツールなんだと僕は思います。そんな瞬間に出会うのが僕はとても好きなんです。

 

No.13 photo by はたち

●テーマ「むこう」

夕焼けが窓の向こう側に見えている、そんな単純な理由からハルクの写真のテーマは「向こう」かな、と思って写真をつなげました。この写真はインドのラダック地方で撮影した、若いチベット修行僧の足を写した写真です。山の上にある旧王宮に向かって、とことこと歩いているチベット修行僧の足元は、この先の修行を経て、どんな風になっていくんでしょうか。

ぼくはそれを思って、この写真をつなげました。むこう側に歩く彼の「むこう」、つまり未来はどうなっていくのか。むこう側が気になってしまって、だからこそ応援したくなって。

写真は過去を収めるものだ、とよく言われます。しかしぼくはそんなふうに思っていません。過去を収めるからこそ、未来も一緒に収めることができる。むしろ未来志向なものだと思っています。過去をひとつひとつ紡ぎあわせていくことで、それが合わさって大きな未来になっていく。過去のポートフォリオは、未来へとつながるおおきな「青写真」なのです。

ぼくはそんなことを思いながら、一瞬一瞬を切り取ります。切り取った瞬間、それがすべて過去になってしまっても、未来へのつながりを持っている。映像にはないちっぽけな「カケラ」が、そこにはあるんです。

 

No.14 photo by halu9

●テーマ「生きる」

#13の写真からは、一歩一歩歩いていく後ろ姿から強い「生」を感じました。結局人は前にしか進むことはできないのだから、進むことは生きることとほぼ同義だと思います。なので、力強く歌って生命力に満ちているミュージシャンの写真を繋げてみました。やっぱり何かに対して全力で行動しているときに命を感じることが多いと思います。

3.11からいつの間にか7ヶ月も経ったわけですが、3.11より前の世界にはたぶんもう戻れないなんて実感が日に日に強くなっているように思えます。この夏に9.11のグラウンドゼロへちょうど10年の節目にようやく行けましたが、そこに残る爪痕はまだまだ鮮明でした。

「当たり前」だと思っていたことは、決して「当たり前」なんじゃなくて、危ういバランスの上に辛うじて成り立っていて、そのバランスはいつ崩れてしまうかわからない。そんな月並みのことを3.11や10年前の9.11で強く強く感じたわけですが、そうした死であったり、無くなってしまうことや崩れてしまうことを意識することで、毎日をより愛おしく思えるような気がします。

メメントモリではないですが、コインの裏を意識することでより表を意識するように、その日が当たり前の最後の日でも後悔しないように、日々精一杯行動して生きていたいし、同時に必然的な瞬間を写真に収めることで、誰かに何気ない日常を今よりちょっと愛おしく思ってもらえるような優しい写真をもっと撮りたい、そんなことを感じた学生生活最後の夏でした。


Chain is continued…